原稿用紙の憂鬱
原稿用紙が
批判の雨に打たれている!!!!!
最近至る所で「原稿用紙いる?いらないよね?いらないわ。」という否定的意見を見聞きします。批判の雨でびしょ濡れのボロ雑巾状態です。
そういった意見を見るたび、原稿用紙は使い方次第ではないだろうかという個人的な考えが頭をよぎります。自分が教壇に立った時にどうするのかを踏まえながら、その考えを少し書いてみました。
確かに意味不明・守る必要性ゼロだろうと感じる規則はあります。例えば
- 題名は三字下げる。
- 署名は下に一字空ける。
- 姓名の間も一字空ける。
などなど。題名と署名だけでこれ。題名が二字下げだろうが三字下げだろうがどうでもええやろ…という感じです。これを厳密に守らされ、間違う(?)と恰好の餌食。理不尽に思える減点で作文を嫌いになるのも当然だと思います。私も不必要な形式はこだわるべきでないという意見です。
でも、中には句読点や段落分けなど文章を書く上で大切な形式もあるはずです。
教師が教えるべきは、形式だけでなく「なぜそんな形式にするのか。」ということではないでしょうか。
文章を書くことには読む人にとって分かりやすいよう内容を表現する必要が常につきまといます。その前提を踏まえて、段落にはどんな意味があるのか・なぜ作った方がいいのか・なぜ句読点は最後のマスに文字と一緒に書くのか等といった形式の理由を必ず教えるべきだと思います。形式だけを教えるから形式を扱う理由が分からず、書く力もついてこないどころか嫌いになる。
形式の理由については今回省きます。ここで出てくる意見はそんなこと言ったって原稿用紙なんて使うことないじゃん!時代はSNSだぜ!という感じでしょうか。
確かに、文学館にある直筆資料を見ると文豪でさえ原稿用紙の枠を突き破ってメモ用紙のように書いています。なおのことSNSで意識することはありません。ですが文豪はさておき、僕はSNSが特殊ではないかと思うのです。
国語の教科書からはじまり新書・単行本・kindleといった書籍では縦書きかつ原稿用紙の形式です。「いや、教科書も国語以外SNSやwordとかと同じ横書きでしょ。」と言われると確かにそうです。が、横書きでも段落や句読点などの形式は変わりません。なぜ形式はどれも共通なのか。
それは分かりやすい文章に形式が必要だからです。大学のレポートや論文でも引用だと示すために引用部分は二字下げるとかお約束ごとはあります。が、やっぱり共通している形式にはそれぞれ意味があるのではないでしょうか。教師がその点を理解した上で、生徒達に「なぜそんな形式にするのか・何の意味があるのか。」とセットで作文指導を行うことが必要だと思います。
SNSでも共通の形式は句読点が行の初めに来ないことくらいです。ですが、SNSではしにくいことが非常にやりやすくなります。教師が生徒に作文指導をする中で、分かりやすい文章を書くための形式と意味を、実際に書いて実感を伴いつつマスがあるため視覚的にも分かりやすく生徒に伝えられるツールとなるのではないでしょうか。そう、原稿用紙ならね。
佐藤