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脱井蛙ブログ

教職を志す地方公立大学の学生が教育含めた様々なことを発信するブログです

読書感想文の是非1

    みなさんは読書感想文を覚えていますか。夏休みの課題としてこなした記憶が多くの方にあるのではないでしょうか。『ライ麦畑でつかまえて』『アルジャーノンに花束を』といった代表的な課題図書から自由図書まで「自由に」書き記すあの感想文です。

    1955年から読書活動促進を目的として今日まで続いています。私はこの読書感想文、書くのが本当に億劫でした。読書が嫌いという訳ではありません。むしろ本の虫とまではいきませんが、特に中高校生の時はよく読んでいました。感想文が嫌いだったんです。

   そして教員を目指している今はなおさら「どうなんだ…。」という思いが考えるたびフツフツと湧いてきました。その疑問を何回かに分けて書いていきたいと思います。今回は「自由」という点に絞りました。

「自由」な内容

   本が面白いかどうかなんて人それぞれ。内容の解釈も十人十色です。『ごんぎつね』でも猟銃で打たれたごんが可哀想だという意見があれば、最初から悪戯をしなければ済んだ話だという意見もあるはず。

   しかし読書感想文では、本の内容に否定的な(面白くなかった)意見で書かれたものは表彰されません。本を読んでどれだけ心を動かされたか・物事を深く考える契機となったか等、肯定的な文章だけが良い感想文として評価されます。

   仮に読んだ本が面白くなくて素直にその気持ちを表現しても、いくらその気持ちを論理的に分かりやすい文章でまとめても、評価はされない。これはどうなのでしょうか。自由と謳っておきながら、全ての本が全ての人にとって素晴らしい内容だという前提で文章を書けと強制している。「読書(した本の内容を素晴らしいとする)感想文」というおかしな暗黙の了解があるはずです。

「自由」な書き方

   「感じたこと・考えたことをそのまま自由に書けばいいよ。」これは読書感想文に関わらず、作文をする際によく先生から発せられるアドバイスです。そしてそのアドバイスを受けた生徒は困ります。「書き方が分からないんだよ…。」と。 感じたこと・考えたことを書くことくらい、誰でも分かることです。生徒の筆が止まるのは他のところに原因があるのではないでしょうか。

    私は原因が二つあると考えます。一つ目は感想文の書き方が分からないこと。二つ目は気持ちを文字化するのが難しいこと。今回は前者について触れます。

   「エッセイ書いて!」と言われて書き方を具体的にイメージできますか? いきなりですが、そういうことなんです。

    感想文・論文・感謝状…と文章の種類は様々です。一方でその書き方はほとんど教えられる機会がありません。書写の時間に字の練習として種々の文章をなぞる程度の記憶しか私にはありません。形式を知らない上で自由に書けと言われても、選べる書き方が無いのです。

    「自由」はある一定の枠組みの中で存在するものです。社会ではルールの範囲内で自由に行動でき、ディナーバイキングでは用意されたメニューの中からは好きなものを選べます。作文も、書き方を知っている中で初めてどのように書くか考えることができます。まずは種々の文章の「書き方」を教える必要があるはず。読書感想文はこの点をよく見ずに課せられることが多いのではないでしょうか。

    今回は「自由」というテーマで触れましたが、数回ほかのテーマで読書感想文について考えることをまた気が向いた時に書いていきたいと思います。 

 

佐藤