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脱井蛙ブログ

教職を志す地方公立大学の学生が教育含めた様々なことを発信するブログです

読書感想文の是非2 (廃止論)

   読書感想文が何のためにあるのか、私ははっきりと理解できたためしがありません。好きという人に出会ったこともないし、良さと狙いを説明した上で課してきた先生もいません。自分が教壇に立つ時も希望制にしたいと思っています。

   理由は3つです。

  1. 文章を書くために本を読みたいか
  2. 内容へのレスポンスもできない
  3. 小説家への道を強制するな

以下はこの理由について詳しく述べていきます。

 

文章を書くために本を読みたいか

   読みたくない人が多いはずです。

   私は、文章を書くために読んだ本の感想文の大半はロクなもんじゃないと考えています。感想文を書くために感動して物事を考えることに意味はありません。(1で指摘した暗黙の了解を踏まえた)素晴らしい感想文も中にはあるでしょうが、そんな文章を書いた人にたいして私は「本の内容覚えてる?何に感動した?今の考え方にどう影響してる?」と聞いてみたいものです。しっかり自分の素養としている人もいると思いますが極少数で、多くの生徒は本の内容や感想ともに忘却の彼方ではないでしょうか。

   各々が好きな本を、好きなだけ読んで、好きなだけ自分の頭で考えて楽しめばいい。そう思います。

 

内容へのレスポンスもできない

    あなたは感想文を書いて先生に提出しました。その後どうなりますか?

   大半はそれで終わりです。優れた感想文だと評価されればコンクールで賞をもらって終わり。作文を返却されても花丸だけでコメント1つ無し、という例を友人から聞いたことがあります。書き方を教えない中で書けと課し、教師自身は文章にコメントすることもできない。これでは生徒も何のために感想文を認めるか分かりません。読書感想文を形骸化した悪文化に教師が変えてしまっている状況です。

 

小説家への道を強制するな

   文章を書く上で最も重要なのは「自分にしか分からないことを誰にでも分かりやすいように認める」ことですが、最も難しい原則でもあります。まして自分の気持ちを正確に他者に伝えることは至難のワザです。

   読書感想文には、文法知識や語彙を求められ、暗黙の了解に基づいた本まで読んで、この原則が待っています。しかもここが好き・嫌い・どう思うということが一言で終わるような小学校低学年でも原稿用紙2枚(800字)という長さ。また学年に伴って量も増え、中学生になると5枚(2000字)にもなります。読書感想文は難し過ぎるのです。それなのに書き方はロクに教えず、原稿用紙と一緒にリーフレットを生徒に渡すだけ。これで生徒に小説家になれと強要しても、作文嫌いを助長するだけです。

 

   Yahoo!で「読書感想文」と検索すると「読書感想文はコピペで済ませよう!そのまま使える例文を一挙10件公開」なんて記事が最初にヒットします。読書感想文の是非1や原稿用紙の憂鬱(当ブログ記事)で述べたことも鑑みれば、百害あって一利なしといっても過言ではありません。書くのが好きだという生徒も中にはいると思うので、私は教壇に立った時、書きたい者が書く希望制にしたいと考えています。

 

佐藤