読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

脱井蛙ブログ

教職を志す地方公立大学の学生が教育含めた様々なことを発信するブログです

思い出の卒業文集?

   ブログを始めてから一週間が過ぎ、目標のアクセス数500を達成できました。三日坊主になることなくこの先も続けていきたいと思います。が、今までは些かまとまりがなさ過ぎたかなと。汗。これからしばらく、私は「作文教育」に関連することを考えていきます。今日は卒業文集についてです。 

生徒全員が

書いたことのある作文じゃないか

   卒業作文は小中学校卒業時に必ず認める作文であり、かつて生徒だった私達全員が書いたことのあるものではないでしょうか。もちろん私も書いていたので探してみたら、ありました。押入れの肥やしになっていました。写真は中3の私が書いたものです。

f:id:kyouiku01:20170122215409j:image

今はマラソンとトレイルランをぼちぼちしてます。4月には100kmです。

   文集ですので学年全員分の作文が載っている訳です。

自分が経験していても、やるもんだと教えられても、その「当たり前」と考えるものに意味はあるのか、一歩立ち止まって考え直すことを忘れてはならない。

というのが 私のブログ記事のポリシーですが、この卒業文集について考えてみました。

   大半の人は私の様に小中学校での思い出を書き綴ったのではないでしょうか。みなさんと自分の卒業文集を否定する訳ではありませんが、思い出を書き綴るってどうなの?と今回おもったのです。

「思い出」というブラインダー

   「思い出」というとなんだかきらびやかなもので誰にとっても汚されない、汚してはいけない良いものだという印象がありませんか?この崇高な思い出というブラインダーを取り除いて卒業文集を考えてみると、3つ疑問が湧いてきました。

  1. 思い出だからいいの?原稿用紙の書き方無視
  2. 未来と過去の矛盾
  3. 作文教育の賜物「時系列作文」

以下でそれぞれ詳しく述べていきます。

1.思い出だからいいの?

   卒業作文の意味といえば、「大人になって読み返す時に思い出を回顧するため」が一般的な答えでしょうか。みんながみんな思い出を綴る訳ですが、ここでも原稿用紙が登場します。そしてコバンザメのようにこの紙に必ず付いてくるのが形式でした。この形式が、卒業作文では無視されているのです。

   同級生の作文を見ると、段落が一切ない・文字とカギ括弧が1つの枠内に合体している・題名も3文字下げていない・段落の最初を1文字下げていない等、多岐に渡ります。これらは定期テストで作文があると格好の餌食。減点対象です。なぜ、先生方は訂正させなかったのでしょうか。「思い出書いてるんだからそんな野暮なことゆうな!」でしょうか。

   自分にしか分からないことを誰にでも分かりやすく書くことが大切で、それには形式が必要だということは他記事で述べました(また今度再考・改訂版の記事を出そうと思います。)。文集の読者が未来の自分だとしても、未来の自分にとっても分かりやすく書くべきだと思います。普段から厳密に守らせている形式を使わずして、いつ使うというのでしょうか。これを考えると原稿用紙の形式厳守と採点って本当に意味のない指導だなと感じます。集大成である作文にも全く反映させられていません。

2.未来と過去の矛盾

   卒業文集には生徒の作文だけでなく先生方からの贈る言葉が載っています。また、私の卒業文集のタイトルは「未来へ翔け 61期生」です。「ん?」とここで疑問です。

  • 先生方→贈る言葉・未来
  • 生徒   →思い出・過去

それぞれが全く逆のことを載せています。思い出を回顧するのは他にアルバムという具体的なものがあるなにも関わらずです。「卒業文集は過去の思い出を書くもの」という通例が染み付いているのではないでしょうか。一方で先生方は未来のこと。否定はしませんが、生徒は「ただ書かされている意識」だからこういった無意識的な作文になってしまうのではないでしょうか。文集作るよと言って機械的に書かせず、意味を考えてさせないとと思います。

未来への文集にする

   先生方が贈る言葉を載せているように、生徒も過去から未来へ視点を向けて作文を書くのも1つではないかと思います。「みんなといて楽しかった。」から「これからもみんなと繋がってたい。」へ。「部活楽しかった。」から「この経験を活かして次のステージでどうするか。」へ。私の作文も「どこまでするのか。」から「いつまでどうやりたい。」へ。過去としてだけではなく、過去があるから未来へどう続くかを書き残すことは大きな意味があるのではないでしょうか。

3.「時系列作文」

   「1年の時は水泳大会が印象に残っている。2年は文化祭。3年は修学旅行がとても楽しかった。」という時系列作文はよく見られるものです。義務教育の最終作文でこの書き方が非常に多いのは、作文教育の成果を物語っている気がします。

   報告文や感想文及び小論文など、種々の作文の書き方を教えないことで生徒はこの時系列作文しか書き方が分かりません。小学生とかだと「まだ勉強途中だ。むしろ今回の遠足がとても楽しくて新鮮な記憶として残っていて、いっぱい書けているんだろう。」と褒めることになりますが、義務教育の終幕を飾る場面でその形式が大半をしめるということに私は疑問を呈したい。

 

卒業文集の意味をもう一度再考して、生徒に何のために書くのか、そのためにどう書くことを心がければいいのか、しっかり伝えたいと思います。

 

 

佐藤