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脱井蛙ブログ

教職を志す地方公立大学の学生が教育含めた様々なことを発信するブログです

個性とは

   「個性を生かす教育」というのはよく聞くもので、現行学習指導要領の総則にも載っています。ナンバーワンよりオンリーワンだとか色々な言葉の支柱にもなり得ているこの個性。

   ですが、個性とは何かを以前はっきりと答えられず詰まってしまいました。現場に立つものとして「個性とは子ども一人一人が持つイキイキとした輝きのことだ!」なんてポエム理解では学校やクラスで何も実行できないと感じて具体的にどんなものか考え、自分で納得できる内容に思い至ることができました。

 

個性の定義

  • 人が生まれもった性質
  • その性質を踏まえてどう生きるか

この二つです。順に説明します。

   ここでの性質は、感と体です。目がどう・髪がどう・酒に強い弱いといった体質と、オレンジ色が好き・ピーマンが嫌い・体を動かすのが好きだ嫌いだといった感性がこれにあたります。

   性質の種類や程度が全く同じ人はいません。それに伴って、人の生き方や考え方もその人特有のものになります。俗にいう「らしさ」です。

   この二つの総称が「個性」なんじゃないかと今は考えています。考え始めた時は自然と「個性=x」と一つのものだとしか考えられていませんでしたが、本も読みながら色々考えていると別に二つでもいいんじゃないかこれが自分の今の正解だと行き着いたのがこれです。

   児童生徒ももちろん、十人十色の個性を持っています。クラスに40人いれば40通りの人間がいるはず。かのリポーターが教師だったらクラスを、個性の宝石箱や〜とでも表現するでしょうか。まぁいらない話はさておき、そういった状況だからこそ今話題の協働的学習やグループワークなどが意味をなすんだろうと思ったりします。ある先生が「教室に、同じ学年で一人一人違う生徒がこんなにいる。この状況を使わない手はない。」と仰っていたのが思い出されるのですが、一つのものに全く同じ感じ方・考え方では話し合いも意見のすり合わせも何もありません。自分の意見を深めることも、色々な意見から合意を探ることもありません。個性を認めずして何も始まらないということです。

   ところで、個性を履き違えて「オレッチ個性的!」と思ってバカッターだのなんやかんややらかしてしまう人がいるのも事実です。これは、生まれもった性質ではなくそれを踏まえてどう生きるかの部分が社会性に欠けていたり、つまりは「悪い」状態にあるということです。みんなで人の間でしか生きられないのが人間。個性の伸長というのは、そういった生き方の部分を善いように変えてやることだと思います。

 

 

   読んだことがある人は分かると思いますが、ある本がこの考え方のきっかけになっています。探してみてください。

   今回の個性ですが、土曜日にテレビでやっていた『アナと雪の女王』にも おや〜笑。繋がるところがある!と見ながらニヤニヤしました。次はその繋がりについて感じたものを書いてみたいと思います。