脱井蛙ブログ

教職を志す地方公立大学の学生が教育含めた様々なことを発信するブログです

当事者意識は必要??

 

前回の投稿で
数多くのいいね!・シェアをしていただき

ありがとうございます。

 

このままの勢いで1ヶ月突っ走っていきたいと思います。

 

当事者意識は必要なの?


子どもの貧困対策をされてる方や
不登校・ひきこもりの支援をされてる方とお話をさせていただく機会が
とても多く
そのお話をさせていただく中で

 

「当事者意識は必要なんだろうか」

 

ということをふと感じました。

 

子どもの貧困対策をされてる方は
自分の子ども時代の辛い体験をもとに活動されてる方が多く
不登校の支援をされてる方は
自身が不登校であった方ももちろんいますが
圧倒的に自分の子どもが不登校であった方が多いように感じます。

 

ひきこもりの支援をされてる方に関しても
ひきこもりから脱した元当事者の方が大多数を占めているような気がします。

 

確かに
今までの経験を生かして
支援する方に回ることは良いことだと思いますし
当事者だからこそ分かることもかなり多いと思います。

 

ただ
先日Facebookでも軽く述べましたが
当事者同士の支援だけでなく
当事者以外の支援もこれからは必要になってくるのではないでしょうか。

 

当事者の声に耳を傾ける 

その際
大切になってくるのが
当事者が自らの『声』をいかにして
発信していき、
その『声』に僕含めた当事者以外の人々がアンテナを張り巡らせることだと思います。

 

幸いなことに
今は子どもの貧困に関する新聞記事がかなり多く掲載されるようになり
加えて不登校新聞・ひきこもり新聞というものが発刊されており
当事者自身が『声』を発信しやすくなっています。

 

しかし


この『声』が当事者以外に届いているか?


と問われると少し首をかしげざるを得ないと僕は思います。

 

従来は
見えにくく、分かりにくかった
当事者の『声』
《文字》という形で言語化されている
ということは大変喜ばしいことだと思いますし
自らの辛い体験を
《文字》という形で言語化されている
当事者の方には頭が下がります。

 

が、どうしても
その『声』が当事者以外の人々には行き届いておらず
だからこそ未だに


「ひきこもり・不登校になるのは本人の努力不足」
「貧困に陥るのは親が努力しなかったから」


といったような自己責任論が聞かれるのではないでしょうか。

 

一刻も早く
この自己責任論が聞かれることのない世の中を構築していくためには
当事者の『声』に対する
アンテナを僕含めた当事者以外の人々が常に張り巡らせておく必要があるのではないでしょうか。

 

その為にも
当事者の『声』が言語化された媒体がある、ということを
色んな形を通じて発信していくことが
これからは求められてくると考えます。

 

当事者意識はあるに越したことはありませんが
これからはやはり当事者以外の方々が支援する側に回ることもまた必要で
そうすることで

今まで以上により良い活動となり得るのではないでしょうか。