脱井蛙ブログ

教職を志す地方公立大学の学生が教育含めた様々なことを発信するブログです

『アナ雪』で考える個性

   先週の土曜日にテレビでやってましたが、皆さん『アナと雪の女王』ご覧になりましたか?僕は高校の時に後輩と観に映画館に行った以来2度目でした。ミュージカルがあれば絶対行くのに…と思っても、雪の城のセットとか大変ですかね…。

   今回は、前回の「個性」についてをアナ雪で考えながら進めて行きます。

※僕は個性を・生まれもった性質

                    ・それを踏まえてどう生きるか

と定義付けています。よろしくどうか。

雪の女王エルサの個性

   この人が色々やらかす度に物語が進み、この人が物語を終わらせる、マッチポンプ女王と言えなくもない彼女には「雪や氷を自在に操ることができる」という生まれつきの体質(個性)が。

   物語冒頭ではこの個性による氷をアナの頭に直撃させてしまい、実妹を殺しかけます。その後は両親によって「コントロールできるまで外に出ない」生き方を余儀なくされ、部屋に閉じこもることに。しかし結果的にコントロールどころかどんどん強大になってしまったところで戴冠式を迎えます。

   自分が持つ氷の体質を踏まえて、見られないよう知られないよう人と会うことを避けて生きるのも彼女らしさであり、個性でした。氷の体質という自身が生まれもった体質を封じ込める生き方をしているこの時期は、自分が自分でなく納得のいかない辛い毎日。

   挿入歌「生まれてはじめて」では

  • 一人でいたいのに×2
  • 誰にも会いたくない×2
  • この手で触れたらみんな気づいてしまう
  • 今日だけでもうまくやろう
  • 隠し通すのよ

と、エルサの歌詞はブルーに染まっています。

個性バレるの巻

   式後のパーティーで不意に氷を生み出しまくってしまいます。城内にいられずにエルサは森へ消えてしまい、有名なレリゴーシーンへ続いていく訳です。

   この場面ではエルサの周囲の人間が印象的でした。

  • アナ、氷にドン引き
  • 他国の宰相、怒り心頭(危険視・排斥)
  • 住民、エルサを初めて見る

とりわけ宰相は、想像だにしなかった氷の体質に驚き危険視。排斥しようとします。自分や周りが殺されるかもしれず危ないという理由です。異質な個性を持つエルサは悪者でしかありませんでした。

ありのままで

   隠していた氷の体質はバレてしまい、「もう別に自分隠さんでええや」と吹っ切れて氷の城を作る有名なシーンです。今まで自分を悩ませていた柵を取っ払い(納得いかず葛藤していた時分の手袋やティアラをポイ捨て)氷の体質を目一杯に使いながら自分を信じて生きていくことを選択。

   冒頭とこの辺は自愛や自己肯定感が関わってくると思いますが、今回は個性なので割愛。

   ここからまたアナを殺しかけたり捕らえられたりでなんやかんやあり、最終的には氷を他者のために生かして、氷の体質を隠さずありのままで自分らしさを保ちつつ皆と一緒に生活できるようになります。

個性についての悩みと問題

   冒頭では、氷の体質のために部屋にこもってしまうエルサがいます。この時彼女には

  • 氷止まらん
  • 体質隠して妹とも関わらずこもりきり

という2つの個性に関する悩みがあります。が、もしこの時に監督役がいたら、何に注目して解決しようとするでしょうか。自分がそうだったら、両方を見ます。

   氷の体質ばかり見ていると、「本当は出たいし幼い頃のようにアナと遊びたいけど体質を隠して管理するためにこもらなければいけない」という悩みを理解できない。こもっている生き方ばかり見ていると、悩みのタネである氷の体質を見逃してしまう。実際にアナは氷のことを全て忘れているのでドアをノックしまくりながら

「雪だるまつくろう〜ドアを開けて〜。一緒に遊ぼう!どうして、出てこないの〜?」

と見事に後者です(記憶ないのでしゃーないですけど…)。戴冠式まで何回ノックしたんでしょうか。自分だけが氷の体質と事故を覚えていてこもらざるを得ず悩むエルサと、悩みのタネが分からずに自分が避け続けられていると感じるアナのすれ違いがあります。

   一気に話が変わりますが自分が教壇に立ったり子ども・友人などと関わる時がきたら、個性についてはバランスに気をつけたいなと思います。その人が持つ性質を知りつつ、どんな生き方になって悩んでいるか。仮にジェンダー的な問題であれば性質のところにLGBTだとか性別についてが、生き方のところに制服や友人関係などが入るでしょう。性質と生き方の両方(悩みと悩みのタネを別のものと考える)を意識して考えるようにしていきます。

   他の人に対しても、アナ雪の宰相のような人間を認めてはならないと感じます。自分の予想外・嫌いな個性を理解せず排斥することは、人同士が共に生きていく中で一番の障害になるはず。気に入らない者は排斥するというその人らしさはまさに悪です。社会性も踏まえて直さなければならない「らしさ」であり「個性」です。

   唐突ですが僕が教師を目指す上で「安全安心な授業・クラスを作る」という理念もここに少しあります。

 

今日はちょっとこの辺で幕引きにしようかと思います。少し長くなりましたが、大事なのは正味最後の章だけです笑。読んでもらってありがとうございました❄️💃個性はまだ続きます。