脱井蛙ブログ

教職を志す地方公立大学の学生が教育含めた様々なことを発信するブログです

『走れメロス』を覚えていますか?②

 

こんにちは。

 

今回は
前回のブログの続きを書いていきたいと思います。

 

前回の最終部分で引用した箇所を
再度引用させていただきます。

 

正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。人を殺して自分が生きる。それが人間世界の定法ではなかったか。ああ、何もかも、ばかばかしい。私は、醜い裏切り者だ。どうとも、勝手にするがよい。

 

この箇所から
皆さんはどのようなことを
読み取ることが出来ますか。

 

僕は
この部分から

 

メロスを常に疑い続けることの重要性

 

を読み取ることが出来ると考えます。

 

例えば

 

正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。


という部分。

 

ここから
更にメロス自身が自らを奮い立たせて
最終的に歩みを進めていくわけですが


この場面をメロスがハッピーエンドに至る為の布石


と読むか


メロスが歩みを止めるのでは?
と常にメロス自信を疑い続けるにあたって必要不可欠となる要素


と読むかで『走れメロス』から
読み取ることのできる内容は大きく
変わってくると思います。

 

前者であれば
とどのつまり

 

「正義、友情は権力にも勝るのだ!」

 

という一種のヒロイズムを
走れメロス』から
読み取ってしまいがちです。

 

が、後者だと
常にメロスを疑い続けることで
生徒の批評精神を育成することができると考えます。

 

そもそも
国語という枠組みの中で

 

「正義、友情は権力にも勝るのだ!」

 

という一種のヒロイズムを教えることは相応しいと言えるのでしょうか。

 

僕の答えはNOです。

 

国語教育と道徳教育の違いは?

 

と問われてはっきりとした答えを
導き出すことは出来るのでしょうか。

 

国語教育、道徳教育のどちらにしても
アプローチの差異はあれど
最終的な落とし所はかなり似通っている気がしてなりません。

 

そこで僕は
国語教育を通して
批評精神の育成
を目指していきたいと考えています。

 

その批評精神を育成するのに
走れメロス』という教材は
相応しいと言えるのではないでしょうか。

 

先にも述べた通り
常にメロスを疑い続けることで
走れメロス』という作品を
より深く読み、そこから
メロスを批評するという精神を
育成することが出来ると考えます。

 

何れにしても
走れメロス』という教材から

 

「正義、友情は権力にも勝るのだ!」

 

という一種のヒロイズム以外のことを学ぶことの出来るよう
これからも日々精進していければと思います。